まあ、時代が時代ですからね・・・そういう考え方になる人もこれから出てくるんだろうな(;^ω^)
とある方のツイートが話題になっていたのでご紹介。
その内容とは、
ゲーム機を買ってからゲームソフトを買わないと遊べないという流れは卑怯
という子どもがいるということ!?
いとも簡単にゲームができるようになってきている時代
早速ですが、話題になっていたツイートがこちら。
ある生徒が『3DSとかSwitchとかは本体を買わないと遊べないソフトがあるから卑怯』と言ってました。スマホ等でダウンロードして遊べるゲームが山ほどある現代の中高生からしたら『ゲーム機本体を買ってからソフトを買う』という一連の流れが無駄に見えるそうで、軽くカルチャーショックを受けました。
— Childish Teacher (@TeacherChildish) October 1, 2019
ということで、本体を購入して、ゲームソフトを購入して、初めてゲームが遊べる・・・という流れが卑怯だと考える子どもが出てきているみたいですね(;´∀`)
今の時代は、スマートフォンと呼ばれる機器を当たり前に持っている時代。
一応、生活に直結するような機器の一つ・・・無きゃ無くても、なんとか生活できる人もいるとは思いますが、様々な機能を使いこなせるようになると、やっぱりないと不便ですからね。
オレの親父世代は携帯同士の電話やメールができればいい!と考える人がいますが。
PCとのやり取りだったりクラウドだったり、ビジネス分野でも持っていなきゃ不便な時代ではあります。
そんな大体の人が当たり前に持っているスマホで、今は
無料ゲーム
も遊べてしまいます。
何なら有料でも、ゲームソフトを買うよりは安くゲームを購入することが出来てしまいます。
んで、オレは普段から周りをきょろきょろ見渡しているのですが・・・確かに、そのスマホでゲームを遊ばせている親御さんは結構多いんですよね。
まあ、それ自体は別に悪いとは思わないのですが・・・ただ単に、ハイハイと遊ばせてしまうと、
ゲームを遊ぶための苦労
というものを子どもたちがわからなくなるんですよね。
当たり前にスマホを手渡されてゲームを遊べるようになることで、「ゲームを買う」「ゲームを買ってもらう」という考え方がわからなくなるのでしょう。
その結果が、このツイートの内容なのでしょうな。
オンラインの有料化やマジコンが流行っていたときも、そんな感じの考えがでてきたよね
でまあ、このツイートを見たときに思い出したのが、PS4やニンテンドースイッチなどでオンライン有料化したときのことや、マジコン問題のことですな。
オンライン有料化のときも、
なんでオンラインで遊ぶ”だけ”なのに金が掛かるんだ!?
とか、
子どもがスプラトゥーン2を楽しみにしているのにひどい!
とか言われていましたが・・・そのオンラインを遊べるようにする設備を維持するためにもお金はかかりますからね。
まあ、今まで無料だったのにお金を取るようになったという流れができているので、気持ちはわからなくもないのですが(;´∀`)
あと、マジコン問題のときも、マジコンが規制されたときに
貧乏人はゲームを遊んじゃダメなのか!
っていう人がいました・・・この考えは流石に意味はわからないですけれども(笑)
人間って面白いもので、本来は「幸せ」なことなはずなのに、その幸せなことがずーっと続いていたり、その時代に生まれ生活してきた人にとっては、「当たり前」に置き換わっちゃうんですよね。
例えば、オンラインゲームを遊ぶためには、アホみたいにお金が必要な時代がありました。
今みたいに定額料金を支払えばネットが使えるのではなく、使った時間分だけお金がかかるわけで。
そんな中、夜中のほうが料金が安いからとか、30分だけプレイして後は我慢しよう・・・とか考えながらオンラインゲームを楽しんだ人たちもいるんですな。
でも、時代が進むにつれてネットが定額化。
更には、PS3やWiiはライバルに差をつけようとしたためか、オンラインサービスを無料で提供しました。
それはもう、昔からオンラインゲームを楽しんでいた人たちにとっては、夢のような話。
ありがたやありがたやと思いながらオンラインゲームを遊んでいたと思いますが・・・その「幸せ」が続くと人間は麻痺してきて「当たり前」になります。
また、その時代に生まれた子どもたちは、無料で遊べるというのが「当たり前」なこととして受け入れます。
その結果、本来はオンラインを無料で遊ばせてもらっていたことが幸せなはずなのに、ネットが安定しないとか、速度が遅いとかという悪い部分を指摘したり。
有料化にするわ!ってなったときの文句にも繋がってくるんですよね。
本当、人間って面白いもんです。
ゲームを遊ぶためにも関門は設けるべき
とまあ色々語りましたが、幸せって本来は
苦労
がないと感じないんですよね。
例えば、ケーキを食べることが幸せ!って感じる人は、毎日仕事でケーキを作って、朝昼晩の食事もケーキで生活しろ!ってなったら、地獄だと思います(笑)
だけれども、その合間合間に、例えば仕事を頑張ったとか、運動をしたとか、イライラさせられたとか・・・大小は置いておいて、何かしら苦労があって初めて、
ケーキってうめぇ!
って感じるはずです。
ゲームを遊ぶということも同じ・・・昔話をすると嫌がる人もいるかもですが、昔はゲームを遊ぶためには
怒られる
のが当たり前でした(笑)
まあ、それがなかった家庭もあるかもですが、オレの家だったら、ゲームが遊べる時間である30分を超えたら怒られますし。
ゲームを買ってもらうときにも、お前は勉強をしていないからダメ!とか怒られました(;^ω^)
でも、どうにかこうにかして、その怒られるという関門をくぐり抜けて。
初めてゲームを遊んだり、ゲームを手に入れたときの幸せは、かなり大きかったんですよね。
今の時代は親が持っているスマホを手渡すだけで、子どもがゲームを遊べちゃう時代。
「言えば遊べる」っていう、関門がほぼない状態となっています。
そこを例えば、親父が「相撲で勝ったら貸してやる!」とか、一緒に遊んで点数を競って、それを5回プレイさせて超えることが出来なかったらスマホを返してもらうとか。
もちろん、勉強に絡めてもいいでしょうし、お金の話に絡めてもいいでしょうし。
とにかく、何個か関門があって、それを突破して初めてスマホのゲームを遊べるというような形にしないと、これからも、
ゲームを遊べるありがたみ
を感じないことにつながってしまうと思います。
世の親御さんたち・・・ただ怒るだけではなく、多少ゲーム性も含めた「関門」を子どもたちに設けてみてはいかが?
あとがきっくす
話は違うかもしれませんが、そういえば、
とにかくやらせまくると、辞める方向に進む
という話を聞いたことがありました。
例えば、ゲームだったら、逆に毎日ゲームを強制的にやらせるという感じ。
「あれ?今日はゲームをやらないの?ゲームをやらないとダメじゃない!」的な感じで強制的にゲームを遊ばせまくると、なんか楽しくなくなってくるんでしょうね(;^ω^)
結果、事務的な感じで遊ばなければいけなくなりゲームを辞めるようになる・・・的な話だったはず。
なので、少なくともゲームが楽しいと思えているうちは、まだ幸せだってことなのでしょうね。
そんな幸せな環境にいるということをたまにでいいから思い出しましょ!